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富士山との関係が深い神奈川県伊勢原の大山へ

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大山阿夫利神社は神奈川県伊勢原市にある関東総鎮守と云われた古社で、関東に広がる雨乞い信仰の元宮 石尊大権現の総本山、由緒ある社である。

古来より「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣の祈願をしていたことがうかがえます。その後、奈良時代以降は神仏習合の霊山として、武家政権下では武運長久の祈りの場所として栄えました。江戸時代以降は年間20万人を超える人々が「大山詣り」を行ったと記録されているようで、皇居から続くR246は大山街道として知られ、多くの人が行き交い宿場町などが栄えていったといわれています。

 この山のご祭神は富士の女神である木花咲夜姫の父親である大山積神タカオカミの神(水神)を祀っていることもあり、

古来から「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれ、富士詣と大山詣は共に広がって行ったようです。かく言う自分も横浜青葉台に住んでいた時期があり大山に何度となく通っていた時期がありその中で富士山の縁をもらったように感じています。富士山を考えている人にもお薦めです。

旧暦の正月立春後に神社参拝とともに本社がある大山山頂を訪れて見ませんか? 

大山(おおやま)は、神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市境にある標高1,252mの山である。丹沢山などの丹沢の山々とともに丹沢大山国定公園に属し、神奈川県有数の観光地のひとつである。ピラミッドピークが今回訪れる大山1252m。古代の海洋民族がこの山を目指して海からやって来て腐敗しない水を探しにきたことが想像出来るようなピラミッド状の山の美しさあります。日本三百名山に選定されています。大山山頂には、縄文時代の祭祀跡や土器などが発見されており、少なくともこの頃から人々の崇敬の対象であったことがうかがえます。

晴れた日には大山の直下から富士山を臨むことが出来ます。

日時 3月9、10 (日、月)

料金 二日間 30000円 + 宿泊あさだ旅館 15350円(参道にある歴史ある宿坊)

   一日のみ15800円

コースタイム3時間50分 標高差700m 距離5キロ

難易度A2

集合場所 伊勢原駅 

一日目 10時20分集合…伊勢原駅…日向薬師…比々多神社…あさだ旅館泊 

二日目大山ケーブル乗り場8時15分…大山阿夫利神社…大山山頂…見晴台…二重滝…阿夫利神社…茶屋 石尊…大山寺..伊勢原駅  先に歩き、帰りにロープウェイを使う可能性があります。

ロープウェイ代は各自負担です。

宿泊場所 https://ryokan-asada.com/

源頼朝が武運長久を祈願して大山に太刀を奉納したことから、木太刀を奉納する納め太刀(おさめだち)の風習がこの地に残ったといわれています。納め太刀の習慣は開運、厄除けを目的に行われたようです。 

現在 大山阿夫利神社の下にある石尊大権現の御神宝。

かつては十一面観音が祀られていました。宇都宮、内房、群馬、茨城、長野、山梨など。五穀豊穣、火防などしていたのでしょうね。

神社参拝からスタート。この鳥居をくぐり山頂方面に向かいます。

天狗の鼻突き岩。

天狗が鼻で突いて開けたとの伝説が残ります。

これは盃状穴ではないでしょうか??古代祭祀に使われていてたのだろうと想像出来ます。

ペトログラフを研究している竹内一忠さん調べて見てください。 

大山から富士山を臨みたいものですね。

コースタイムは90分で山頂です。ロープウェイを用いずに下から歩けば120分。

大山周辺には、縄文時代の祭祀跡や土器などが発見されており、少なくともこの頃から人々の崇敬の対象であったことがうかがえます。2万8000年前から人が住んでいたといわれています。

関東総鎮守といわれることもあり、湘南方面、晴れている日は千葉方面まで眺められます。龍雲が迎えてくれました。

二重滝は「雨乞いの滝」の通称を持ちます。東大寺を開山した良弁僧正がこの滝で竜神に会ったと言い伝えが残ります。

東大寺は728年、聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子・基王の菩提を弔うため、若草山の麓に「山房」を設け、9人の僧を若草山麓に住まわせたことが、金鐘寺(こんしゅじ))、後に東大寺の起源であるとされたようです。

743年に、生きとし生けるすべてのものが栄えるようにと願い、盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)造立の詔を発し、天平勝宝4年(752)にあの大仏さまは開眼されたということです。東大寺を開山した良弁

僧正が大山寺の開山に携わりました。 755年

ぐるっと歩いてきたら一休憩。

御神水で淹れたコーヒーや、抹茶ティラミスが有名なんだそう。楽しみに行きましょう。

大山寺にも寄り戻りましょう。この他にも近くの日向地区にも行基さんが開山した日向薬師があり、大山エリアがどれだけ力があったかを知ることが感じることが出来ます。716年

日向薬師 

効験無双と称され
この国に2つとない効験のある薬師如来 日本三大薬師如来の一つ

全国に国分寺が出来たころに、山の国分寺として栄え

「日向薬師」(ひなたやくし)の名で親しまれている。正式名称を日向山 宝城坊(ひなたさん ほうじょうぼう) といい、江戸時代末期までは日向山 霊山寺(りょうぜんじ)と称し 、多数の坊からなる日向修験の拠点として栄えていました。
その歴史は古く、霊亀2年( 716 )に僧行基により開創され、1300 年の歴史を伝える高野山真言宗のお寺です。開創以来、歴代天皇の御帰依深く、勅願寺としての時代を経て、将軍 源頼朝やその妻 北条政子など名立たる武家が度々参拝・祈願し、篤い帰依を受けたことなども知られ、その歴史を物語る多くの仏像・宝物等も伝来します。特に仏像をはじめ彫刻作品の多さでは、東国において稀な一例とされています。秘仏薬師像との御開帳とは重なり合わないものの多くの仏像に会うことが出来ることでしょう。

比々多神社(ひびたじんじゃ) 神奈川三宮

人々が古くから祭祀の行われていた当地を最良と選定し、大山をご神体とし豊国主尊を日本国霊として祀ったことを起源としている。歴史は大変に古く、神社境内地・近隣より発掘出土した遺跡遺物(いせきいぶつ)などから推測すると、約1万年以上遡(さかのぼ)ることができます。発掘された縄文時代中期の環状配石(かんじょうはいせき=ストーンサークル)の「立石」(たていし=メンヒール)は祭祀遺跡(さいしいせき)の御神体として原初的な神社の信仰、古くからの聖地信仰(せいちしんこう)の指標(しひょう)を現しているといえます。出土品は三之宮郷土博物館拝観出来ます。(料金:200円、

開山は良弁の父とされる。

出雲の口伝では宇佐族は八上姫を大国主命に嫁がせるほどの旧家、後に豊国の母体になった氏族といわれています。宇佐族は物部氏と共に第二大和東征を行い、大和に豊の勢力が広がったのではないか、豊受大神の系譜になっているとも考えられているようです。

天皇に嫁いだ豊玉姫の娘、豊鍬入姫命は大和に赴き、檜原神社、籠神社などの元伊勢で祭祀をすることになったようです。後に倭姫が伊勢神宮 で思いを継ぎました。兄 豊来入彦がいて男体山がご神体の二荒山神社、赤城神社などに祀られています。

後に豊の勢力は大和より権力を失い、東に活躍の場を移動し、豊田、豊橋などの地名になっていったようです。豊鍬入姫命(うさめ)は鈿女になったと言われています。

祭神は

豊斟渟尊 トヨクムヌノミコト
(またの名を豊国主尊 トヨクニヌシノミコト)
国土創造の神さま 大地・開発・発明・創造 

豊雲野命は古事記によると天地開闢に関わった神代7代の神とされています。

天明玉命 アメノアカルタマノミコト
玉造りの神さま 不思議な霊力発揮・子宝

稚日女尊 ワカヒルメノミコト
機織りの神さま 衣料 

日本武尊 ヤマトタケルノミコト
叡智と武勇の神さま 出世・開運・除災・交通

相殿神(あいどのしん)

大酒解神 (大山祇神)オオサカトケノカミ
酒造りの神さま 酒類業・山火鎮護

小酒解神 (木花咲耶姫)コサカトケノカミ
縁結び・子授安全

↓大山

この辺りの氏族の広がりが関東に広がったことが関係あるようですね。

登山出来る服装 

レインウェア(風などを防ぐことが出来ます 

〇薄めのダウン  (寒さ対策としてダウンです。ダウンは雨や汗に弱く行動着には不向きですので、行動着のフリースが別途必要です

行動着のフリース

ニット帽 

インナー手袋

カイロ  (靴の中にもあると暖かくて良いです

〇水分 お湯500m以上 

〇行動食 どら焼き 羊羹 ドライナッツなど