5月11日に諏訪大社春宮の神楽殿で行われた奉納演武。
神楽殿で正式参拝後、戦国時代末期から続く新陰流兵法最高の傳位である(皆伝の傳位)を三好師範、師範の大先生であられる渡辺忠成先生、甲府の先輩の師範さんらも同席の下、頂く事が出来ました。
2011年7月より武道歴ゼロからのスタートで14年という月日の中で江戸時代から続く300本以上の組太刀の中から戦国時代の無駄のない身体の使い方を学んできました。

2011年の震災後、三好さんと出会い根気強く熱心にご教授頂けたことにより、14年継続することが出来、この日を迎えることが出来ました。この場を借りて感謝をお伝えしたいと思っています。

三好師範は20年近く、渡辺先生は小学校入学と共に剣術を学び77年と今も研鑽をし続けておられます。



新陰流の皆伝は大学卒業レベルであると渡辺先生は仰れました。
身体の使い方の規則を身につけることができたと思えたのは自分にとっては大きな自信になったように感じています。
これは登山や他の競技、日常生活にも変化が及んでいくこと・重なる部分であることが分かってきました。風速20mという日であっても動じない、そんな身体の使え方が身についたことをガイドの中で感じることもありました。
今後は整体、山のクライアントさんに身体の使い方を指導・お伝えしながら登山ツアーなど行っていきたいと思っています。
身についてしまえば一生もの、

学びはしっかり続けていきたいと思っています。


今度ともよろしくお願いいたします。

三好師範曰く 奇しくも五月十一日は新陰流を世に知らしめた柳生宗厳氏(石舟斎こと)のご子息で、徳川家康公に剣術を教える将軍指南役に任じられた柳生宗矩氏の命日であったと教えて貰いました。文武の才に秀で、1615年に武家諸法度を制定し江戸の世を太平に治め、家光公は天下統御の道は宗矩に学びたりと言わしめた人物。
新陰流は諏方神党 流祖 上泉伊勢守信綱より伝授された新陰流の剣豪として名高く、徳川家康の師範に招かれ、息子宗矩を推挙したことで柳生家繁栄の切っ掛けを作った。
戒めのために三好先生の大先生である渡辺忠成先生のお言葉載せさせて貰います。